(株)陽だまりハウスの歴史④ ~三代目大工棟梁の生い立ち~

2021/01/16(土) 家づくりのこと

 

 (株)陽だまりハウス

三代目大工棟梁の小山です!

今日は私の生い立ちをお話します。

もしかしたら生まれてこなかったかもしれない私…。

私が母のお腹の中にいる頃、

家の裏にあった資材置き場から火が出て

ボヤ騒ぎがあったそうです。

慌ててパニックになった母は

私がお腹の中にいる事も忘れて

無我夢中で消火作業に走り回ったそうです!

大きな火事にならずに消火出来たようで

ホッと一息ついた時に母がひと言…

『あっ、忘れてた…』

いやいや、忘れてたとちゃうがな!

俺お腹の中におるんやぞ!って

言いたくなるようなエピソードです(笑)

何はともあれ

おかげさまで昭和48年10月に

無事この世に生まれる事ができました。

めでたしめでたし!

(昭和53年 長岡京市 深田保育園)

保育園の頃はお遊戯や外で遊ぶことが大好き!

長距離の散歩や山登りなども大好きでした。

おかげさまでのびのびと育っていきました。

 笑顔がとってもかわいいですね!

ちなみにこちらが現在の笑顔 ↓↓

 

 今も長距離の散歩や山登りを楽しんでいます!

昔と違うのは、お酒の味を覚えたことと

髪の毛がなくなってしまったことです(笑)

 小学生の頃から家の裏にあった資材置き場の

木材を持ち出して、ノコギリで切ったり

釘をトントン打ったりして遊んでいました。

中学生になるとバスケ部に入部しました。

(長岡第二中学校)

地元では強豪校のチームで、顧問の先生は

熱血指導で厳しい練習の毎日でした。

夏休みになると吐きそうなくらい練習をしていました。

『どうやってさぼろうか?』

そんなことが頭によぎるくらいハードでした。

その時に顧問の先生が言った中で

妙に印象に残っている言葉があります。

『試合の時だけ頑張ればいいってものじゃないんだ!

毎日、毎日の積み重ねが試合に繋がるんだ!』と。

そうか、日の当たる所だけじゃダメなんだ。

蔭の部分があってこそなんだ!

そんな事を感じた一瞬でした。

ちょうどこの頃、時代はバブル真っ只中!

父はお盆と正月以外には休む姿を見たことがないほど

働いていました。

私は部活の練習キツイなーと思っていた時に、

父は毎日、毎日、忙しい、忙しいと汗まみれで

働いているそんな背中を見て

こんな感情が芽生えます!

『父を助けたい!仕事を手伝ってあげたい!』

ちょっと上から目線な感情ですが(笑)

これが建築の道を志す芽生えになりました。

今から思うと自分が元気で部活動をできているのは

日の当たる陽の部分で、それを陰で支えているのが

父や母の家族だったんですね。

陽と蔭が織りなす『陽だまり!』

”お陰様で”ってことですね。

もしかしたらここから陽だまりハウスが

始まっていたのかも…。

高校は地元の向日市にある向陽高校に入学。

高校でもバスケ部に入部して汗を流しました。

チームのキャプテンとしてバスケに打ち込みました。

その頃の写真がこちら ↓↓

 細い!、若い!、フサフサ!

現在の写真はこちら ↓↓

 薄い!、デブい!、おっさん!

昔みたいにカッコつけてみたけど

全くカッコつけられなくて笑ってしまった

写真がこちら ↓↓

 あー、歳は取りたくないなあ~。

気持ちだけあの頃のままなのになあ~。

こうして中学・高校と6年間

バスケを貫いてきましたが、

いよいよ高校卒後に親元を離れ、

住み込みでの厳しい、厳しい~

大工の修行の道へと続きます!

 ~つづく~

 

 

 

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