スタッフブログ

はじめての方へ 社長の想い

2021/12/30(木) 家づくりのこと
頑丈な家づくりは当たり前!
家族が健康でイキイキとした
笑顔溢れる暮らしをつくる

家づくりをお考えの皆さん

こんにちは!

桜の花や自然が大好きな (株)陽だまりハウス

三代目大工棟梁の小山世次と妻の志穂です。

棟梁って呼んでくださいね!

弊社は、

陽だまりのようにあたたかい家づくりを通して

地元地域に合ったSDGsに積極的に取り組み、

持続可能な社会の実現を目指している

地域密着のアットホームな会社です。

~生い立ち~
もしかしたら生まれてこなかったかもしれない私…。

1973年(昭和48年)

私がまだ母のお腹の中にいる頃の事です。

家の裏にあった資材置き場から火が出て

ボヤ騒ぎがあったそうです。

慌ててパニックになった母は

私がお腹の中にいる事も忘れて

無我夢中で消火作業に走り回ったそうです!

大きな火事にならずに消火出来たようで

ホッと一息ついた時に母がひと言…

『あっ、忘れてた…』

いやいや、忘れてたとちゃうがな!

俺お腹の中におるんやぞ!って

言いたくなるようなエピソードです(笑)

何はともあれ

おかげさまで昭和48年10月に

無事この世に生まれる事ができました。

めでたしめでたし!

(1978年 昭和53年 長岡京市 深田保育園)

保育園の頃はお遊戯や外で遊ぶことが大好き!

長距離の散歩や山登りなども大好きでした。

おかげさまでのびのびと育っていきました。

 イキイキとした笑顔がとってもかわいいですね!

ちなみにこちらが現在の笑顔 ↓↓(変わってない(笑))

 

 今も長距離の散歩や山登りを楽しんでいます!

昔と違うのは、お酒の味を覚えたことと

髪の毛がなくなってしまったことです(笑)

 小学生の頃から家の裏にあった資材置き場の

木材を持ち出して、ノコギリで切ったり

釘をトントン打ったりして遊んでいました。

 

~大工になるきっかけ~

中学生になるとバスケ部に入部しました。

(長岡第二中学校)

地元では強豪校のチームで、顧問の先生は

熱血指導で厳しい練習の毎日でした。

夏休みになると吐きそうなくらい練習をしていました。

 

その時に顧問の先生が言った中で

妙に印象に残っている言葉があります。

『試合の時だけ頑張ればいいってものじゃないんだ!

毎日、毎日の積み重ねが試合に繋がるんだ!』と。

そうか、日の当たる所だけじゃダメなんだ。

蔭の部分があってこそなんだ!

そんな事を感じた一瞬でした。

 

ちょうどこの頃、時代はバブル真っ只中!

父はお盆と正月以外には休む姿を見たことがないほど

働いていました。

私は部活の練習キツイなーと思っていた時に、

父は毎日、毎日、忙しい、忙しいと汗まみれで

働いているそんな父の背中を見て

こんな感情が芽生えます!

『父を助けたい!仕事を手伝ってあげたい!』

ちょっと上から目線な感情ですが(笑)

これが建築の道を志す芽生えになりました。

 

高校は地元の向日市にある向陽高校に入学。

高校でもバスケ部に入部して汗を流しました。

チームのキャプテンとしてバスケに打ち込みました。

その頃の写真がこちら ↓↓

 細い!、若い!、髪フサフサ!

現在の写真はこちら ↓↓

 薄い!、デブい!、おっさん!

昔みたいにカッコつけてみたけど

全くカッコつけられなくて笑ってしまった

 

 あー、歳は取りたくないなあ~。

気持ちだけあの頃のままなのになあ~。

こうして中学・高校と6年間

バスケを貫いてきましたが、

いよいよ高校卒後に親元を離れ、

宇治田原町で住み込みの厳しい、厳しい~

大工の修行の道へ入ります。

 

 厳しい大工の修行とニワトリのお話

 私の大工の修行時代のお話です。

当時は厳しいのは当たり前の環境でしたが

今の時代に置き換えたらとんでもなくブラックな修行時代でした。

ただ、この経験があったからこそたくさんの事を学ぶ事が出来て

成長させてもらい、厳しくも優しさ溢れる親方たちの愛情に

感謝しているという事を前提に読んでみてください。

 

私は高校を卒業して父に

『父の仕事を手伝いたい!』と伝えると、

『親子で一緒に仕事をしたら甘えが出るから、よその釜の飯を食って修行してこい!』

と言われ、父の知り合いの大工の親方のところに

住み込みで修行することになりました。

初めて親方に会った時の印象は

九州なまりで温厚な話し方から優しそうな親方だなと思いました!

親方からは、

『4年間は精神修行だから頑張れ!』と。

優しそうと思ったが、とんでもなく厳しい事が

徐々に明らかになっていきます。

 

宇治田原町の茶畑が広がる田舎に寮がありました。

1階が作業場で2階に事務所と個室があるトタン小屋です。

1日の流れはこんな感じです。

(朝)

朝は兄弟子よりも早く起きて20羽ほどいた

ニワトリの世話から始まります。

そして兄弟子を起こしてから現場に向かいます。

(昼)

昼休みには、兄弟子はゆっくりと休憩をしていますが、

修行中の弟子は、ご飯を食べたらノミやカンナの刃を研いだり、

掃除などの雑用をするので休めません。

(夜)

残業は当たり前ですし、ようやく晩ごはんを食べると

そこから親方のありがた~い説教がはじまります。

1時間、2時間、3時間…

いつまで続くのだろう??

その間ずっと正座です。

それが終わってから明日の段取りで

トラックに材木を積み込みます。

それが終わってから洗濯をして一日が終わります。

 

今なら完全にブラック企業ですね(笑)

勿論辛かったですが、その中でも一番の楽しみが

女将さんが作ってくれる料理でした。

どの料理も本当に美味しかった!

この女将さんの料理に元気をもらっていましたし、

何よりも早く一人前の職人になりたい!精神修行なんだ!

その気持ちがモチベーションになっていました。

 

余談ですが、

毎朝ニワトリの餌やりの時に

キャベツをみじん切りにして飼料と混ぜて与えるのですが、

このキャベツの切り方が粗いと親方からよく叱られました。

『俺は大工の修行に来たのに、なんで野菜の切り方で叱られなあかんねん…??』

当時の私はすねていました(笑)

そんなことがありながら手塩に育てたニワトリでしたが、

Xmasシーズンになるとショッキングな出来事が

起こります。

最初の事件は、1羽、2羽とニワトリが減っていくのです。

そうなんです!盗難被害に遭ってしまします(泣)

一人で落ち込んでいると親方がやって来て

2回目の事件が起こります!

『今日は鶏鍋でもしようか!』と言って

ニワトリをさばき始めます(驚き)

初めて目の当たりにした光景に

この日2度目のショックを受けてしまい鶏鍋は食べる事が出来ませんでした(笑)

 

一見、仕事とは無関係のような事柄ですが、

振り返って考えると、

細かくキレイにみじん切りをするためには

包丁を研いで手入れをしておく事。

切るときは丁寧に確実に切ること。

ニワトリが食べやすい大きさにするために

相手の気持ちを考えて切ること。

これらは全て大工仕事に繋がっているという事だったのです。

ノミやカンナの手入れが大切。

丁寧で確実な技術力を身につける。

お客様の立場になって考える。

親方が野菜の切り方を叱ったのは、無言で

これを伝えるためでした。

 

常に厳しかったけど、いつも気に掛けてくれているという

愛情を感じていました。

親方に怒鳴られたり(凹むけど浮上も早い私)

物が飛んできたり(よけるのは上手くなりました)

殴られたりもあったのかなかったのか??(前歯の差し歯がチャームポイント(笑))

本気で叱り、本気で褒めてくれました。

そんな愛情深く、男気ある親方に憧れていました。

今の時代ではブラックかもしれませんが、

逆に言うと、これだけ真正面から愛情を注いで人を

育ててくれる上司はいないのではないでしょうか?

辛かった事は、乗り越えてしまえば全て話のネタ!

笑って話せるからこそ本当に感謝しかありません。

 

そして…

こんな修行が続いた1995年1月17日に

あの大地震が起こります。

阪神・淡路大震災です。

あの時経験した事が大工としての礎となりました!

 

 ~家づくりの原点~

1995年(平成7年)1月17日AM5:46分

 ガタガタガタと突然激しい揺れが起りました。

トタン小屋の寮で眠っていた私ですが

『軽量のトタン小屋だから大丈夫だろう』

そんな安易な事を考えながら起きてみると

 作業場の窓ガラスが割れていました。

少し驚きましたが、時間が経つにつれて

その被害の全貌がTVを通じてわかってきました。

 

 街が燃えている…。

  高速道路が倒れるなんて…。

 

 木造住宅や鉄筋コンクリート造りのビルでさえ倒壊して、たくさんの被害が…。

 戦後の焼け野原か?と思うような光景でした。

 そして復興工事が始まり、我々も神戸の街へ向かいました。

通常であれば高速道路で約1時間で到着できるのですが、

当時は神戸まで約5時間の道のりでした。

実際に現地に到着して見た生々しい悲惨な光景は

今も私の目に焼き付いています。

 

この神戸の復興でたくさんの工事に携わりましたが

中でも一番印象深かったお話をします!

 

それは、私が初めて新築工事を任された現場です。

お施主様は見るからに関西のおばちゃんで

口は悪いけど優しく接してくれるおばちゃんでした(笑)

新築上棟をしたその日から現場に泊まり込んで

仕事をしていました。

親方、兄弟子、応援の職人さんと一緒です。

みんなの朝ごはんと洗濯が私の役割でした。

プライベートなんて全くありません。

毎日仕事をして、雑用をして、説教を聞いて寝る。

共同生活をしていると今まで以上に親方の指導が厳しく、

あまりの辛さに耐えかねて、初めて父に泣きごとの電話をしたことを覚えています。

泣きながら話す私に父は

『そうか、そうか』と優しく聞くだけでした。

建築業界を知り尽くしている父にとって

ごく当たり前のことで全く驚くこともありませんでした。

なんだか大きな愛情に包まれている感じがして

涙を流してスッキリしたのをよく覚えています。

 

施主のおばちゃんもよく話しかけてくれました。

私のことを『ボン』と呼びます。

『ボン、大丈夫か?元気出しや!』

『ボン、今日は美味しい豚汁作ってあげるわな!いっぱい食べや!』

『ボン、お土産買ってきたで!こっちおいで!』

毎日現場に来ては私に声を掛けてくれるおばちゃん。

目を細めて笑う笑顔を見るたびに

『ええ家を建ててあげるからな!』

『絶対におばちゃんに喜んでもらおう!』

その一心で仕事に打ち込んでいました。

 

そして完成して引き渡し間近のことです…

おばちゃんが突如倒れて救急車で運ばれたのです。

おばちゃんのために頑張って来たのになんで…

あと少しで引き渡しだったのになんで…

あんなに元気だったのになんで…。

一命は取り留めましたが、

今までとは全く違う様子のおばちゃんになってしまいました。

おばちゃんの喜ぶ笑顔を見る事は出来ませんでした。

そして気付きました…

私は、自分が辛い、辛いと自分の事ばかりを考えていましたが、

一番辛かったのは被災者のおばちゃんだったんだ。

震災で生き延びて、いつも笑顔だったけど、

本当はストレスや恐怖と戦っていて辛かったんだね…

と初めて気が付いたのです。

 

せっかく生き延びた命なのに、

震災の後で倒れるなんて…。

震災の時だけじゃない!その後も続いているんだ!

これが本当の震災の怖さなんだ!

 

『よし、大地震が来ても絶対にビクともしない頑丈な家を建てよう!』

腹の底から沸き起こるエネルギーを感じた瞬間でした!

これが大地震にも強い家づくりをする原点になったのです。

 

万が一災害が起こった時でも、

『我が家にいれば大丈夫!安心だ!』

そう思えるほど頑丈な家づくりをする事、

それがおばちゃんから学んだ家づくりの原点です。 

 

家族の命と財産を守る頑丈な家づくり

私達陽だまりハウスにとって

宣伝文句で使用するような物のではなくて、

宮大工伝統の技術力を生かしてつくる安心の暮らし。

いつの時代になっても変わらない

当たり前の絶対条件なのです!

 

 ~アレルギーの妻のために~

 妻の志穂は、

とても敏感なアレルギー体質

喘息も持ち合わせています。

カビ、ホコリ、ダニ、花粉、PM2.5、

化学物質、温度差が激しい時にも

アレルギーの症状が出ます。

 

夜中になると鼻が詰まったり

咳き込んだりして苦しんでいる姿を

目の当たりにする事があります。

熟睡できず、朝起きてもボーっと

辛そうにしています。

そんな妻のために、

夜ぐっすり眠れて、朝スッキリ目が覚める事が

出来るようにしてあげたい!

そんな想いから

自然素材の家づくりが始まりました。

 

私達夫婦が新婚旅行で訪れた大好きな沖縄の海。

透き通るような青い海。

この海で育った珊瑚(サンゴ)。

不純物の混じっていない

天然の『風化造礁珊瑚』

アレルギーの妻がこの珊瑚の塗り壁の家に

入った時に思わず

『あっ、この家の空気は全然違う!

すぅ~っと深呼吸したくなる~』と言うくらい

透き通った感覚を味わえたのです。

 

天然素材のため、隙間やひび割れが

発生する事がありますが、それも

自然素材だからこその風合い。

 

大切な家族が健康でイキイキとした笑顔溢れる

暮らしをつくりたい!

夜ぐっすり眠れて、朝スッキリ目覚められる暮らし

 家族の健康を大切に考えている方や

のびのびと子育てしたい人に、

家づくりのプロとして自信を持って

オススメ出来るのが、この珊瑚の塗り壁の家です。

 

 ~地元地域に合った家づくり~

 宇治市には、平等院鳳凰堂と宇治上神社の

2つの世界遺産や宇治茶が有名です。

私たちが暮らす宇治市小倉町は

坂道がなく平坦な土地で、

JR小倉駅、近鉄小倉駅があり、

高速道路も近くて交通の利便性が良い。

保育園、小・中・高校、病院、買物など

歩いて何でもそろう住みやすい街ですし、

住宅街における店舗密集率が全国でも

3本の指に入る程、昭和の時代は賑わっていました。

食事をしよう!飲みに行こう!といえば小倉町!

そんな便利で楽しい街です。

 

その一方で、

少子高齢化が進み、一人暮らしの方も

増えてきている現状で、寝たきり生活ではなくて

健康でイキイキと長生き出来る事や

子ども達が地元地域に愛着を持って

ずっと住み続けてもらう事が求められています。

 

そして、この地域では1953年(昭和28年)に

大洪水の被害に遭った経験があります。

その時は、京都市伏見区、宇治市、城陽市、久御山町

渡る広範囲で大きな被害に遭いました。

また、宇治市には黄檗断層が走っており、

大地震や水害を心配する方が多く暮らしている地域です。

 

私達、(株)陽だまりハウスは

新築・リフォーム事業を通して

このような地域の課題解決の取り組みとして

 

 17項目全てのSDGsを目指しながら、

特に、健康と防災に特化をして

 

 持続可能な明るい未来づくりに貢献していきたいと考えています。

 

2021年現在、宇治市小倉町では、

①近鉄小倉駅前の再開発が動き出す

②小中一貫を建設する(令和8年完成予定)

③南部市場周辺の企業誘致開発(経済・働く場づくり)

④任天堂資料館(令和6年オープン予定)

大きなプロジェクトが始動しています。

これから小倉町がさらに活性化する期待が

沸いて来ています。

 

このような未来が楽しみな地元地域に

株式会社 陽だまりハウスは、

家族が健康でイキイキとした笑顔溢れる暮らしをつくり

ひとりでも多くの子育て世代に住んでもらい、

子どもからお年寄りまで、

三世代が暮らしやすいまちづくりにも

挑戦していきたいと考えています。

 

 

 

 

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