会社の歴史・陽だまりハウスの意味とは?
家づくりをお考えの皆さん
こんにちは、ワクワクするような
楽しい事を考えるのが大好きな
(株)陽だまりハウス
三代目大工棟梁の小山世次と妻の志穂です。
弊社は1928年(昭和3年)
私の祖父が宮大工として創業をしました。
明治生まれの祖父は幼い頃に両親を亡くし、
親戚が親代わりとなって育ててくれました。
お世話になった育ての親にいつか恩返しをしたい!
そんな想いで宮大工の丁稚奉公に入ります。
大正・昭和時代の厳しい修行を乗り越えて
1928年(昭和3年)に宮大工として
『小山工務店』を創業しました。
腕の良い職人気質の祖父は、
ご近所からは『庄ちゃん』の愛称で頼りにされていました。
ご近所の修繕工事や日本家屋の工事、
寺社仏閣の工事なども引き受けているように、
大工職人としての技術力は輝かしいものでした。
長岡京市にある紅葉で有名な『光明寺』や
祇園にある『八坂神社』などの工事にも携わってきました。
そして、檀家のお寺に対しては
お地蔵さんの社を作ったり、簡単なお寺の修繕工事などは
ボランティアで奉仕をしていました。
祖父が亡くなって30年以上経ちますが、
いまだにお寺のおばあさんから
『小山の庄ちゃんには昔たくさんお世話になったのよ』と
三代目の私に言ってくれます。
それを聞くと、
『おじいちゃんは凄いなあ~!』と感動すると同時に、
自分自身が地域活動に取り組んだり、
災害ボランティアに行くのは
そんな祖父の血を引いているんだなあ~と感慨深くなります。
職人気質で不器用な面もありましたが、
寺社仏閣の仕事をこなすほどの優れた技術力で
ご近所の方からの信頼に応え続けてきた
祖父を今でも誇りに思っています。
昔も今も細かな作業まで手を抜かず、
お客様のために誠心誠意創り上げる技術力は
我が社の伝統になっています。
弊社二代目代表は、
4人の子どもを育ててくれた私の父です。
男・男・女・男。私は4番目の末っ子です。
(昭和42年)
(まだ私は生まれていません)
父は本格的に建築の修行をするために
建設会社で現場監督として働きます。
(昭和45年頃)
分譲地の区画整理から、家の建築、アフターフォローまで
一貫してさまざまな経験を積ませてもらいました。
また、会社の宴会の席では幹事に指名され、
宴会部長としてみんなを楽しませていました。
♬おなじアホなら踊らにゃそん、そん~♪(阿波踊り)
楽しそうに踊る父 ↓↓↓↓
楽しそうな私 ↓↓↓↓
確実に血を受け継いでいますね(笑)
第一次・第二次オイルショックを経て、
1982年(昭和57年)に二代目として
工務店業を営んでいきます。
景気が悪い中に独立をして、4人の子どもを育てるのは
かなりの苦労だったことでしょう。
自分でチラシを作って、親戚、友人、知人、PTAの仲間にも配って
どうにかこうにか仕事を受注していました。
この一番苦しかった時に仕事を依頼してくださったお客様や
助けてくれた人達のことは一生忘れません。
人の繋がり、『義理人情』は大切にしていこう!
『お客様を大切にして長いお付き合いをしよう!』
困難の中から人生の宝を見つけたのでした!
時代はバブル景気へ突入!
当時、ナショナル設備(現パナソニック)リフォーム会社の
下請け仕事をしていました。
仕事は断るほど次から次にあった時代。
多くの工務店は儲けの良い現場を選んで仕事を請け負っている中、
父は、他の工務店が嫌がって断るような小さな工事も
喜んで引き受けていました。
他の工務店からは笑われていたかもしれませんが、
お客様やナショナル設備の皆さんには大変喜ばれていました。
『景気が良いからと言って目先の利益ばかりに走ってはいけない!』
お客様の身近な存在となって住まいのお困りごとに
寄り添っていました。
特に用事がなくても
『近くを通りがかったから寄ってみました』
と言ってお客様の所に訪問すると
お客様も喜んで、
『小山さん、ちょうどよかったわ、実は…』と
お困り事を相談することもよくある話。
日曜日でも各工事現場を回ってゴミの片付けや掃除をしたり、
この頃の父はお盆と正月以外はまともに休んだ姿を
見たことがないほど働いていました。
他の工務店のように会社を大きくする道は選びませんでしたが、
一人一人のお客様や元請け会社、職人さんを大切にしてきました。
バブルがはじけてからは、倒産する会社もたくさんありました。
弊社も仕事が減少はしましたが、
コツコツと堅実にやってきたおかげで生き残る事ができました。
それは、父のファンが多かったおかげでしょうね!
ちょうどその頃、私は社会人となり大工の修行のため
家を出て住み込みで働きに出ました。
そんな私に父は大切なひと言を授けます。
『引き渡しをしてからが本当のお付き合いだ』
よく覚えておきなさい!と。
正直、その頃の私は言葉の意味がよくわかりませんでした。
でも年々その言葉の意味がよく理解できるようになってきました。
そんな父も他界しましたが、父から貰った大切な言葉を
今も、そしてこれからも大切に引き継いでいきたいと思います!
”陽だまりハウス”に込められた意味とは?
”陽だまり”は、光と陰から成り立っています。
光‥‥陽だまりのようにあたたかい家づくり
陰‥‥陰となって支えてくれる人達に
”お陰さまで”という
『ありがとう』の家づくり
そんな想いが込められています。
(株)陽だまりハウスは、
父や祖父の想いを受け継ぎ、
陽だまりのようにあたたかい家づくりを通して
地元地域に合ったSDGsに積極的に取り組み、
持続可能な社会の実現を目指している
地域密着のアットホームな会社です。
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